Rejoice!@hatena

The power of the Web is in its universality. Access by everyone regardless of disability is an essential aspect. ―Tim Berners-Lee

心当たりの三作

 さて、作者としてではなく第三者として私が『ハンチバック』の批評を行うとしたら用いるだろう作品を三作挙げて解説したいと思います。私の執筆スタイルとして、事前の作品構想は緻密ではありません。完成後に自分の書いたものの意味が掴めてくるという感じですので、ここに挙げた作品も、構想段階から組み込むことを企図していたものではありません。あくまで私自身が「一読者」として分析の手がかりにする作品三作です。読みの正解は一人一人の読者の中に!

 

『冥府の建築家』

 資産家で、背骨の曲がった、芸術家(五七五調)。というところでジルベール・クラヴェルは釈華のようなハンチバックの創作家の系譜の先人にあたるでしょう。作中で直接言及してもいいくらいですが、別のやり方――意味のないところにヒントを忍ばせておく程度の遊び心にとどめています。ちなみに私はもともとこの本を手にする前から田中純先生の読者であり文体のフォロワーで、貸し棚書店の神保町PASSAGEに入居したのも「田中先生の斜め上の棚が空いてる〜!」というミーハー心が動機でした。恥ずかしいし多分に失礼な感じがするので絶対にご本人には伝えないでくださいね。お願いします。

 

『ピアニスト』

 4月の発表以来「ハンチバック」に投下いただくご感想はなるべく探して読んでいますが(言い訳するようなことでもないんですけど、私がエゴサをするのは、もともと障害者表象が世間にどう影響するかを研究する者なので、ええ、そう、研究なんですよ研究……)、意外なことにミヒャエル・ハネケの『ピアニスト』に言及するものが未だに一つもありません。原作はともかく、ハネケそんなにマイナーでしたっけ?! 抑圧の原因と、職業と、相手役が王子様キャラか否かが違うだけでこれほぼ『ピアニスト』じゃんよ、って完成原稿読み返してて私思ったんです。特にエピローグの解釈に関しては、最後のエリカの行為と重ねて読み解くことが可能かもしれません。ちなみに『ピアニスト』という映画を初見のとき私は壁投げレベルで大嫌いだったのです(女性ピアニストや女性教師への偏見、AVの特定のジャンルに使われがちな職業のステレオタイプのB級感を感じるッ)、が、十年くらいして不意に意味がわかってきたということを大学のゼミで熱弁したのが二年前です。

 

『ローラの日記』

ワセジョの紗花ちゃん。(イメージ)(金髪ではない)

 余談ですが集英社コバルト文庫を「少女小説」と呼ばず「女性向けライトノベル」で括ると、ご不快に思われる方がおられるようなんですが、私としては女性向けライトノベルと呼ぶほうがしっくりくるのですみません。十代の頃、自分の読んでいるもの(角川スニーカー文庫とか含めて)のジャンルを何と説明すればいいのかわからず、「ライトノベル」という言葉が出来てきたとき嬉しかった記憶があるもので。さてその少女小説というジャンルを思うとき、まっ先に名作として浮かぶのが私はこの『ローラの日記』なんです。1991年初版の本が電子書籍になってるの珍しいですよね。おそらく数年前のツイン・ピークス続編発表に合わせての復刊&電子化だと思いますが、同時にやっぱりこれ名作と認識されてきたってことなんじゃないかな? 最初の文庫は近所のコンビニで買ったおぼえがある。

 『ハンチバック』の冒頭の薔薇が青ければ(描写で色を指定していれば)『Twin Peaks:Fire Walk with Me』だったな……と、後から思ったりしました。

 

 そういうわけで、私が批評者ならば以上を踏まえつつ、
・作中で侏儒のイメージが何度か登場するのは、身体障害者表象史においては小人(低身長症)が一定の存在感を持っているため。
・その一例としてのデヴィッド・リンチツイン・ピークスの小人のマイク)
ツイン・ピークス新シリーズで小人のマイクの進化した姿であるシカモアの木が叫ぶ「non-exist-ent!(存在しない)」
・青い薔薇(存在しない)
といったところを拾って、紗花=存在しない、とこじつけた批評を書くんじゃないかと思います。もちろんこれがファイナルアンサーというわけではありません。こじつけだからね。